就職活動の相談を受けたり、エントリーシートの添削などをやっている。
大学生からよくいただく相談が、「TOEICなどの英語の試験を受けておくべきか」とか、「運転免許を取っておくべきか」など、資格に関する相談。
先日、就職活動中の大学生から、同じように相談をいただいて、わたしはこんなふうに返事をした。
「もし就職活動にあたってあなたが英語の試験も車の運転も苦手だと感じるなら、わたしは『やらなくていい』と思います。それは人と比べて怠惰なのではなく、イヤだと思う感情もあなたの可能性のひとつだから、と思うわけです。」


偉そうに書いたけれど、これは私のロシア語の先生、アレクサンドル先生に教わった。

以前、ロシア語の学校に通っていた。先生はロシア人の、ベテラン教師、アレクサンドル先生だった。
クラスメイトはヨーロッパ各国や中国などいろんなところから来ていて、みんな優秀だった。彼らは、ロシア語のテキストを一回読んだだけで、すぐに理解をしていた。わたしは三回ぐらい読まないと、わからなかった。
あるとき、授業後、わたしはアレクサンドル先生に言った。
ハルカ:「クラスメイトはみんな授業で一回テキスト読んだだけで理解してるけど、でも私は一度じゃ全然わからないんです。ほんとうに、全然。」
アレクサンドル先生:「わかるさ、しかしそんなことはまったく気にしなくていい。それはキミにしかない、かけがえのない、可能性なのだから。」


アレクサンドル先生の話はつづく。
「これは僕も外国語学習者としても理解できるし、長年教師をしてきた経験でも、そう言える。日本人の生徒はね、僕の経験上、みんな、ものすごく時間をかけて、ちょっとずつ、ちょっとずつ、お腹の底から長い時間をかけて溜めていって、みぞおちまできて、胸まで来て、それがのどのあたりまできて、口からこぼれそうになったときにやっと、話したり、読んだり、できるようになるんだ。
日本の芸術や建築のあの繊細さ、日本の技術力の細やかさ、長い長い時間をかけて、つみかさねて、やっと出来上がった美しさだろう。それは民族性であって、ハルカが不勉強だからなわけじゃない。ただ日本人は他の国の人より時間をかけてはじめて形が見えてくる人たちなだけだから、他のクラスメイトよりながい時間をかける必要はある。
もう一度いう、これは君がかけがえのない可能性を秘めていることを示しているのであって、唯一無二の魅力なのだ。人と比べる必要は全くない。」
自分は落ちこぼれだと疑わなかったのに、アレクサンドル先生の目にはただただ、「それがハルカの可能性」としか映っていなかった。


20歳ぐらいのころ、わたしは英語の学校に行っていた。
その時の先生は二人いたのだけれど、お二方はいずれも「あなたは若いんだから英語の翻訳だけに目標を絞らないほうがいい」と仰った。
それが直接のきっかけではないけれど、結局わたしは英語の勉強から離れた。
私の周りには中学時代から英語圏の帰国子女がいっぱいいて、英語を勉強している人もいっぱいいて、自分はサカダチしても英語力という意味でかなわない。本屋さんは英語の本で溢れている。
そもそも人と比べて敵うとか敵わないとか、はたまた英語の試験の点数比較とか。英語という外国語も豊穣な文化圏のひとつの切り口であるのに、英語の試験はたくさんあって、点数で外国語の能力を図る尺度がいっぱいあって、海外とか外国の文化にとても興味があった自分が、そういう尺度でしか外国に接することができないことが苦しかった。


その後会社員になって、ひょんなことから、勤め先には内緒で「こっそり」ロシア語を勉強しはじめることになったのだけれども、もしわたしがあのまま点数で測るだけの外国語を勉強していたら、アレクサンドル先生の言葉には絶対にたどり着けなかったとおもう。
ロシア語話者、あるいはソビエト時代を生きた人達から、こういう思考が時々ぽこっと出てくることは、ロシア語同時通訳者で、晩年はエッセイストでもあった、米原万里さんの本で知った。


そう、だから、英語の試験も運転免許証にも罪はないけれど。
気が進まないならそういう試験って、「いま」無理してやらなくても、いいんです。
もし試験という形で英語が勉強したくなったり、巡り合わせ上必要になれば、必要なタイミングであなたのところに巡ってくる。


外国語はたのしい。試験嫌いに鞭を打って英語嫌いになっては本末転倒。映画『ローマの休日』のオードリー・ヘップバーンの喋る可愛らしい英語にキュンとしたり、あるいはその時間と労力があるならば、ぜひ英語が通じる、あるいは英語が混ざっている言語の文化圏に実際に足を運んでほしい。
そういうことをしているうちに、あなたの可能性の糸が見つかるかもしれないし、なにより海外で、外国語がわからないようでわかるって、こんなにすごいんだ、ってきっと興奮するから。

春夏

ライター、巫女、ロシア語とロシア語圏のことなど。
マリーシェル占い館(atre松戸)出演(春夏・ハルカ)/チャット占いアプリ「ウラナッテ」出演