連載コラム

呪いと陰陽師と日本人

【呪い】という言葉を聞いても、「自分には係わり合いがないもの」だと、すっぱり切り離して考えてしまう人たちがほとんどではないだろうか。だが、現代でもフィクションの世界では【呪い】も健在だ。ホラーの中でも人気が高いコンテンツである。私たちが【呪い】に惹き付けられる魅力はどこにあるのか、今一度考えてみよう。

私たちと実は密接な関わりがある【呪い】
古くから【呪い】に関する逸話はたくさん

不老不死とはほど遠い、朽ち果てていく身体と短き命を持ち合わせた者が人間だが、どうしてそのようになったのだろう。このよくある問いかけに対し【呪い】だとする説があることを御存知だろうか。

また、民間で行われる呪術的な信仰から、宮廷陰陽道などの政府機関に至るまで【呪い】は、どこにでも存在していた。そんな生活に密着していたモノが忌み嫌われ衰退して、忘れ去られたのは最近のことである。

はじめての呪いは“天孫降臨”時に起きたとされる説も
人間の寿命は呪いによって短くなったという逸話

日本神話に於ける重要なエピソード「天孫降臨」では、すでに【呪い】について記述されている。

『日本書紀』神代第九段によると、ニニギノミコト(注1)が天より降臨した際、美しいコノハナサクヤヒメ(注2)に出会い、娶りたいと申し出る。コノハナサクヤビメが父であるオオヤマツミ(注3)に伝えると、父は喜んだ。そして、コノハナサクヤビメの姉イワナガヒメ(注4)とコノハナサクヤビメのふたりを送り出す。しかし、イワナガヒメは美しくなかったため、帰されてしまう。

それに怒ったイワナガヒメは、一夜で身ごもったコノハナヤクヤビメの子に「木の花が移り落ちていくような命を」と呪いをかけた。

これが【呪い】によって私たち人間の寿命は短く、老いやすくなったという逸話である。

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ある意味において【呪い】が
表に出てきたのは飛鳥時代

飛鳥時代、律令制により朝廷の機関として、典薬寮(注5)が置かれる。ここでは宮廷官人への医療や医療関係者の養成、薬園(注6)の管理をしていたが、呪禁博士、呪禁師と呼ばれる【呪術】を扱う者たちが含まれていた。

彼らは大陸から持ち込まれた【蠱道(注7)を取り入れた道教】や【呪禁道】、【陰陽五行思想】の影響を強く受けた【呪術】を扱っている。これを【呪禁道】という。基本的に病気や厄災を防ぐための研究していたのだが、もちろん、【呪い】のような【邪術】も扱っていた。同じ頃、陰陽寮も設置され、安倍晴明などを輩出する【宮廷陰陽師】たちが登場する。

呪禁道系、道教系の呪術に魅了される人が続出
問題へと発展し、陰陽寮に統括される典薬寮

奈良時代になると、呪禁道が問題視されるようになり典薬寮は廃止される。そして、陰陽寮に呪術的な役割が吸収されたのだ。

それまで、陰陽寮では、古代律令国家の建設にあたって、大陸文化、及び国家組織を支えるような知識や技術を中心に活動していた。陰陽五行説や十干十二支を基とする天文学や、吉凶の判断材料にする占術、風水(注8)などである。

それが典薬寮廃止に伴い、呪術的な側面をどんどん拡大していったのだろう。日本独自の路線に切り替わったのである。この頃より、民間の陰陽師たちも活動が盛んになっていく。(注9)

【宮廷陰陽師】スター安倍晴明の存在が
陰陽寮を二分することになる平安時代中期

平安時代中期になると、花形陰陽師・安倍晴明が頭角を現す。元来、由緒ある家柄の賀茂家が宗家となって、その一族が陰陽寮にて大きな力があった。しかしながら、安倍晴明の才能実力を買った賀茂保憲が陰陽道を二分する。(注10)天文道は安倍晴明、暦道は賀茂家に。これにより二代宗家が誕生していくことになった。

陰陽師が重宝されるようになった背景には、災いをもたらす霊の存在を信じる【御霊信仰】が厚かったこと、また、【呪詛返し】などが盛んに行われていたことがあるのだろう。

呪術などを排斥しようとしても、結局のところ【呪詛】。つまり、【呪い】をかける行為は止められず、横行していたのだと考えられる。

鎌倉時代と室町時代中期に安定し、

地位を確立する陰陽寮と力をつける民間陰陽師たち

鎌倉時代になると武家が力を持ってくるが、陰陽師の影響力は健在だった。武家たちは戦をするにあたり、占術を頼っていたのである。それは陰陽寮だけに限ってはいなかったようだ。

この頃、【呪い】のイメージは平安時代に比べ、やや薄らいだように感じるのは、活動の幅が広がっていったからかもしれない。一部の説では忍者たちに技術を伝える、また、ある意味軍師のような活動をしていたと推測されている。

その際には、民間の陰陽師もかなりの割合で活躍していたという説があるのだが、その背景には【声聞師】(注11)などがより集団的になり、寺社に拠点を置いていたり、ある程度体系立てて巡業をしたり、ということがあるのだろう。そして、室町時代中期になると、宮廷陰陽師も地位を確立していった。安倍氏が公家としての称号【土御門家】を確実に得たとされる。(注12)

宮廷陰陽師にとって不遇の時代が到来
民間陰陽師(民間芸能者)が勢力を拡大する
戦国時代から安土桃山時代

戦国時代(室町時代後期)に入ると、宮廷陰陽師は前時代にあったような権威を失っていく。応仁の乱以降は【土御門家】が所有していた資料なども散失してしまう。さらに続く安土桃山時代では、豊臣秀吉が宮廷陰陽師を排斥するに至ったのだ。

その代りに、勢力が増していったのは民間の陰陽師たちである。南北朝時代(室町時代中期)の間に、【厄を払い、福を呼び込む舞】などを披露し、呪術的な意味を含めつつも芸能としての色合いを濃くしてきた民間の陰陽師たちは、宮廷陰陽師ほどの追い込まれることはなかった。

この民間の陰陽師の存在があったからこそ、陰陽師が忘れ去られることもなかったのだと言えるのではないだろうか。とはいえ、自由な活動できる民間の中には力のないニセモノもおり、これらは残念ながら陰陽師のイメージ及び信頼を損ねるという結果を招いてしまった。

徳川幕府の全国統治の始まりで陰陽寮復活
民間の陰陽師たちと時代を担っていくことに

徳川幕府は陰陽寮を復活させた。その上で、【土御門家】に権限を与え、民間陰陽師の統括を任せたのである。これは、民間陰陽師の中で、陰陽道の評判を落とす者たちや、犯罪(詐欺)騒ぎを起こす者たちを一層する狙いがあったのではないかと考えられる。

ただ、たとえ力がなかったとしても、民間の陰陽師たちは民衆が持ちえない特殊な知識を携えている者が多く、民間陰陽師が担ってきた功績は大きいだろう。呪術や占いの技術や歴史、天文学や暦学における知識はもちろん、生活に役立つ。そして、芸能事など、芸術的な面の影響力も強かった。

つまり、宮廷陰陽師だけの活躍にばかり気を取られてしまいがちだが、民間陰陽師の役割も重要だったのである。

いくつもの時代を越えて残ってきた陰陽寮の終わり
明治政府による、国家神道・天皇親政体制

明治維新以降、新しい政府が神仏分離や国家神道に転換したため、陰陽師の活動の場はもちろん陰陽道の伝統はほとんど断たれてしまう。時代をまたぎ、時の政府機関に属してきた宮廷陰陽師の終焉である。

同じ頃、陰陽道の廃止によって、幕府から権限を与えられていた【土御門家】も権利を剥奪され、民間陰陽師も活動が難しくなった。

禁止の法令により、第二次世界大戦後、それが廃止されるまで、陰陽道及び陰陽師は姿を消していたのである。

明治維新以降、西洋文化の波によって、民間信仰や呪術的な要素は以前の捉えられ方から変化する。より一層、迷信・オカルト的に見られるようになるのだ。そのひとつの流れの中で、現代の私たちは呪術的なモノは身近ではないと思うようになっているのだろう。私たちが呪術的な要素の入った物語に目を向けるのは、江戸時代や南北朝時代の民衆が芸能者(民間陰陽師)たちに求めているのと同じなのかもしれない。

まとめにあたり、ここで古来からの物語に再度注目したいと思う。
【呪い】や【陰陽師】などの流れを把握したところで、前出された日本神話に戻るのだ。
実のところ『日本書紀』以前の『古事記』に書かれているイワナガヒメの話は、厳密に言うと【呪い】ではないのだ。ただ、【呪い】と受け取れてしまう可能性もある。
また、このような微妙なエピソードは日本神話以外の話でも存在している。ふたつのエピソードを踏まえて、人が【呪い】の何に惹かれるのかを考察する。

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例① 『古事記』における天孫降臨”

日本最古の歴史書『古事記』では、『日本書紀』にあるニニギノミコトとコノハナサクヤビメのエピソード(上記)に少し違いがある。大まかな流れは同じだが、イワナガヒメが呪うという部分がないのだ。その代りに父であるオオヤマツミが以下のように苦言を呈す。

「天孫がイワナガヒメを娶られたならば、天孫の命は風雪に耐えて常に岩のように永遠に変わることがなく、またコノハナサクヤビメを娶られたならば、木の花が咲き栄えるように繁栄されるであろうと誓願して、娘を二人並べて差し出した。しかし、コノハナサクヤヒメだけを留められた。天孫の命は木の花のようにはかないものとなろう」

オオヤマツミは、苦言というより悲しみを告げたのかもしれない。いかに地上の神であろうとも天の神に対して忠告などできるはずはないのだから。“願い”や“祈り”を無下にも反故にされた結果を伝えているにすぎないのだろう。

ただ、悲しみであっても、この類の言葉は、【呪い】に捉えられてもおかしくないものだと思う。このような話は日本以外にも見られる。

日本以外でも見られる、気になる逸話
例② 旧約聖書』にある“失楽園”

『旧約聖書』創世記(第一冊目)第三章“失楽園”の話がある。アダムとイブ(注13)が蛇にそそのかされ、知恵の実(善悪の実)を食べてしまったためにエデンの園から追放されるという、かの有名な話だ。

イブをそそのかした蛇に対し神はきっぱり「未来永劫地を這い続けるものとなり、お前は呪われる」と宣言している。また、イブには「子を産むときに苦しみを伴い、夫からの支配を受ける」、アダムには「食を得るため汗水たらして、地を耕すことになる。そして、塵から生まれたものは塵に帰らねばならない」と伝えた。永遠の命を失い、苦労を背負ったふたりに死を意識させたのである。

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上記ふたつは厳密に言うと【呪い】ではない。が、自分がその言葉を受け取る立場にあったら、【呪い】だと感じてしまいかねないと思う。日本神話と『旧約聖書』、このふたつを読み解くと、人間の寿命は【呪い】によってもたらされているように感じてしまうのだ。
ただし、寿命があるということは、嘆き悲しむことではない。
寿命があるからこそ、人生や時間を大切にしたり、目標に向かい懸命に没頭したり、他者を思う気持ちが強まったり、私たちはできるのだから。
対極のものは結びつきやすい。陰と陽、白と黒、愛と憎悪。
もしかすると、【呪い】は希望と対になり、豊かな人間になれるよう導いてくれているのかもしれない。
だから、私たちは現実、フィクションに関係なくどの時代においても、【呪い】に惹かれるのではないだろうか。

【注】

注1別名 アマツヒコヒコホノニニギ・天津彦彦火瓊瓊杵尊など

注2別名 コノハナサクヤビメ・木花開耶姫・鹿葦津姫など

注3別名 オオヤマツミノカミ・オオヤマヅミノカミ・大山祇神・大山津見神など

注4別名 石長比売・石長比売命など

注5別名 外薬寮

注6 薬園や薬草の管理だったと思われる

注7 こどう

注8 占い結果に対処する儀礼、暦作成、さまざまな観測など幅広い活動をしていた

注9 安倍晴明を神話化し、より勢力を増していったのは、平安時代末期以降という説が有力だが、ここではその以前の盛り上がりについて

注10 これ以前は加茂家が独占していなかったが、ここから二代宗家のほぼ独占状態となる

注11 しょうもじ 下級宗教者・芸能者 芸能を見せる、祈祷をして歩いた。後に観阿弥 世阿弥を輩出する、猿楽師の先駆け的存在とも言える。(陰陽師を模倣していたとされ、ある観点からは民間陰陽師代表のような位置とも言えなくはない)

注12 南北朝時代に安倍氏が土御門家を名乗ったという説もあるが、不安定な立場だった、確かな記述はない、とされる説がある

注13別名 エバ

【主な参考文献】

『妖怪学新考』小松和彦 洋泉社(2007)

『福の神と貧乏神』小松和彦 筑摩書房(2009)

『神になった人びと』小松和彦 淡交社(2001)

『聖書のヒロイン』生田哲 講談社現代新書(2004)

文/来栖田まり

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