昨日ニュースを見ていて、ちょっと考えさせられることがあったので書きます。
人を殺めるって行為は許されるものではないし、自分が直接は関わっていないにしても、人を殺める人間に手を貸すのはどうなのだろうかと。
昨日見た会見では、サウジアラビアから出資を受け運用している最中に、依頼者側が殺人を犯した疑いがあるということ。
その会見で出てきた
運用をまかされた責任という言葉。
殺人犯からの頼まれ事、これを果たすというのは、殺人に加担していることと違うのか?
そんなふうな考えが頭によぎります。
たしかにここで運用を辞めるという選択には、巨大な損失が生まれる可能性もあるでしょう。
その損失を考えれば、
社員に迷惑がかかるし、株主にも迷惑がかかる。
おそらく苦渋の決断だったのかもしれません。
映画のスパイダーマンでは、おじさんが強盗に打たれて死ぬ間際に
「大いなる力には責任が伴う」という言葉を残しています。
フィルムの世界での言葉ですが、この言葉を書いた作者は実際の世界の出来事で得た中から、このセリフを紡ぎだしたのではないかと私は思いますが、今回の件に置き換えると
殺人犯の資金運用を依頼された企業は巨大な力を持つ企業で、今回の判断にも責任が伴うことになると思います。
今回の件をとてもざっくりまとめると、”殺人犯の一味”
そして、TVなどもその一味の広告をジャンジャン流しているわけだから、日本ではTV局も加担しているというふうにも映ります。
会見では、自分の判断がこれまでは間違っていないといったようなニュアンスの発言をされてましたが、あの状況の発言されたのを考えると、かなりの迷いがあったから、あのような発言になったのではないかと。
物事の判断を一度も間違えない人間はいないと思うし、これまでは正しくてもどこかでその判断を間違えることはあります。
今回の判断が間違いになるのかどうかは、これから分かることではありますが、殺人犯に手を貸すという行為は許されないことだろうし、ひとりとか戦争などで多数とかの数の問題ではなく、あくまでその行為(殺人)を許容したかどうかのジャッジが下るのではないかと個人的には思います。
悪魔が差し伸べた手を握るかどうかは、理性や倫理観が問われるだけでなく、複雑な問題が絡んでいるから、本当に難しい問題だと思います。でも、一度その手を握ってしまったら、自分からその手を離すことはできなくなる、そんな気がしてならないです。
Source: マリーシェルと愉快な仲間たち