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30000人鑑定とか書く占い師が行き着く先、”幸せの逆位置”

前に書いた応募関連の話で触れなかった点について書きます。

応募者にはこれまで5000人、10000人、30000人鑑定とか、実績をアピールする方結構います。

こういった数字ですげーと思ってしまう人も世の中には多いですが、私はそこでソロバンをはじいて計算をしてみます。

30000人に対し、1件5000円の鑑定なら1億5千万円、1件1万円なら3億円。
10000人に対し、1件5000円の鑑定なら、5千万円、1件1万円なら1億円。

3万人なら、サラリーマンの生涯賃金を超える額を稼ぐ計算です。

そうすると、個人でやってると税金の関係があるから、節税のため法人を用意しているはずだろうとか。
どっかで店でもやっているんだろうとか思うんですけども・・・。

実際には、そういった点が見当たらない。アレレ・・・と。

実技審査をやってみると、これは占いとして成立するんだろうかとか。うん。教科書読みで全然鑑定になってないよねとか。まともな人がいません。

「リピーターはどれだけ取れていますか?」
まず、私の口から出るのはこの言葉です。

単純に考えると
3万人なら、1%でも300人が取れる計算です。

それを下回るというのは、つまり満足する人はほとんどいない占い師ってことになります。

こういった残念なペテン師はもうやめましょう。
ペテン師のもとに集まるのは、まともな客ではないからです。
普通の人なら、実際に鑑定を依頼するか考えた時に立ち止まるはずですからね。

私なら、毎日1件でもきちんとお客様に向き合う占い師を選びます。1人ずつでも、その中のお客様の10%がリピーターになってくれれば、それなりに安定していきます。リピーターのサイクルは、月1とか週1の人もいれば、3か月に1度とかもあるでしょう。本人の鑑定の仕方でそのサイクルは決まってくるところがありますが、3か月とか6か月に1回でもリピーターになる人がいれば、やり方は間違ってはいないし、何よりもリピーターとの信頼関係が気付ければ、紹介で新規のお客様が増えます。

占い師の傾向として、承認欲求が強い人が多いです。誰かに認められたい、褒められたいという気持ちが強すぎるため、自分はすごいだろ的なプロフィールを書いてしまいます。そして、低い評価を見て、発狂します。

ある意味、占い師のアカウントに、理想の自分を投影しているのかもしれません。
ネットの世界のもうひとりの自分みたいなものと同じように感じます。

これまでの人生で何も成功したことがない人が、いきなり占い師になって成功するはずがない。けれども、成功したように見せかけることができてしまう。

たしかにTVに出てる占い師にも同じことがいえます。

ちょい役だった人が、スピリチュアルカウンセラーとか。
放送作家で何も残せなかった人が、有名占い師とか。
グラビアで人気なかった人が、美人占い師とか。

次々と魔法がかかって、別の自分が生まれる。

けれども、新たな自分はほんとに自分が目指した姿であるといえるのか?
何でも解決しちゃう触れ込みなのに、実際には何もできていない。問題を解決するとか、幸せに導くどころか、結果はまるで逆になったりもする。そこに目を背け続けることはいつまでできるのか?ある意味、良心の呵責のチキンレースみたいな感じになってる人もいるんじゃないかと思います。

それは果たして、幸せだと感じるんでしょうか?

私は何でも言ってしまう方だけども、別に誰かに認められたいという欲求はほぼありません。タイプ的に完璧主義者な気質があるから、何かそこそこ成功したものがあっても、自分だけはなんだかな~といつも感じます。満足していないから、次はもっと良いものをといろんなアイデアが生まれるんでしょうけども、こういった傾向があるので、承認欲求には鈍感です。

ここのところ鑑定を毎日のようにこなす日常になってますが、どちらかというと鑑定は”怖さ”が先行します。鑑定した結果が違っていたらどうしようという考えが頭によぎるからです。自分の失敗なら、自分が傷つくだけでいいですが、鑑定でのミスはお客様を傷つけることになる。〇か×かの世界で、ずっと〇を出し続けなくてはならない。崩れることの怖さを感じていたりします。でも、お客様が来たら、スイッチが入ります。自分がやれることを精一杯やる。自分にできないものを選択しなければ、きちんとやりきれると。だから、私にとってはみんなから愛されるよりも、特定の人だけ来てくれればいいと考えています。対応できる範囲のお客様なら、こちらもストレスなくやれます。まったくかみ合うことのないお客様に時間を割かれ、結果お互いに無駄だったと思うよりも、ちゃんと結果を出し、有意義な時間だったと思える方が良いと考えています。

おかしいと思うことをずっとやり続けていると、いつのまにかそれがおかしいと感じなくなって、常識や倫理などという概念を理解できない、同じ人間とは思えない存在になってしまいます。

私は数年前、藤田和日郎さんが描く『双亡亭壊すべし』に出てくるキャラのような壊れた人間の表情を見るシーンを体験したことがあります。

問題を起こした占い師なので、感じたことをストレートに書きますが、表情、声、雰囲気のすべてが私にとっては不気味に映り、その時の記録データを耳にすると、吐き気を感じるほど。

非を責められ、その女が口にした言葉が・・・
自分の子が親戚の子にあることをしでかし、それが原因で自分は罪を犯すようになったのだというような言葉。

自分は悪くない。ただそれを主張したいがために、自分の子も捨て去るという鬼畜を目にし、その当時は完全に思考が停止しました。

昨日、『双亡亭壊すべし』を読んで、そのシーンを思い出してしまいました。

こういった人ではないものになるケースは少なからずあります。精神疾患とかそういったものではなく、おかしいと思う状況をずっと続け、そのおかしい状況がより深刻になっても、そのまま続けた結果、それが普通になったのだと思います。この女が関わるものはすべておかしくなり、壊れていく。そういったことが今も起こっているようです。一度外れたら、もう二度とは戻ることができません。おかしい日常に住む者が、普通の世界のものを手に入れようとしても、手に入る時にはおかしいものに変わっていて、自分が手にしたいと思うものではなくなっている。つまり、いつになっても叶えられないし、満たされることがない、それがおかしい世界の住人の日常なのだから。

10000人とか、30000人鑑定と書く占い師の行き着く先は、ここ”幸せの逆位置”にあるおかしい世界。

引用:チャット占いUranow(ウラナーウ)と電話とチャットでウラナッテな日々