連載コラム

“まるっとさんの思うこと” ~そのいち~「執着って悪いことなんだろうか」を考えてみた。

皆様、こんにちは。
まるっとさんです。

この度、マリーシェルさんに“まるっとさんの思うこと”について発信する場所を設けていただきました。
(いつも感謝しております。ありがとうございます~)

皆様に、少しでも
伝わることがあれば幸いです。

よろしくお願いいたします。

さて、今回は
“執着”について思うことを書きたいなぁ、と思います。

“執着”というと、なにやら悪いイメージありませんか~?

「“執着”をすてたい」って言葉ですが、
「自分を変えなきゃ!」と頑張っているひとほど使っているように、個人的には思います。

『“執着”とは悪いことで、進めなくしているもの~』
そんなイメージは確かにあって。

捨てたいなって思うのも理解できます。はい。

でも、私は「それ、無理して捨てなくてもいいんじゃないだろうか」と思うんですよ~。
“執着”っていうのは、
それが“ものすごく大事”で、“とっても気になるものだから”こそ持っているわけですよね。
価値観であっても、恋愛であっても、仕事であっても。

ってことは~
“執着しているモノ”は、その人自身を形成する、すごく大事な要素のひとつになっているはずです。

そのくらい“大事なもの”ができるって
すごく素晴らしいことで奇跡に近いことじゃないかな、って思うんですよね~。

“執着”しているから、「つらい」とかも、きっとあるんですけど。

痛みですら引き受けちゃえるくらい“執着”している、できるって。
これからを生きるため自分自身にとって、自分をつくるためにも必要不可欠な要素ではないかなぁ、と。

だから、“執着”は弱さだ、みたいなことも言われてますが、
痛みすら受け入れてしまえる強さでもあるんじゃないかなぁ~ってな風に思ったりします。

私ら、みんな、実はそんなに弱くない。

強いです。

“執着”持つことをエネルギーにできるくらい強いっす。

出方は人それぞれですが。

怒ったり、悲しんだり、喜んだり。

色んな気持ちがあるから、もうひとつの感情をたくさんいいかたちで受け取れるんだと思います。
マイナスな感情も
プラス感情を増幅させます。

“執着”を拒絶して、今の自分を変えたいのもわかるので、背中押してほしいなら押します。が、本当は“執着”も含めて、“できた自分”に価値を置いてあげてほしい。
なんて思ったりもします。惑わしてたら、すみません。でも、本当にそう思うんですよね。これ。

そして、ここまで書いて思いました。
普通なこと、当たり前なことを書いているなぁって(笑)

でも、当たり前なこと、普通なことって、なかなか目にしなかったり、話すことなかったりするもんで。
意外と埋もれております。

だから、それを目に触れさせて、自覚する、気付くのって、実は大事だと思うんですよ~。

意識するって
自分の中にあるものがキュピーンってなるでしょ。
んで、はっきりしていくことに繋がるから。

ってわけで、もう少しお付き合いいただけると、まるっとさん、いとうれし~。

脱線失礼。なんだっけ。
そうそう、“執着”でした。

“執着”しがちな、
愛ってやつはね。愛着<あいじゃく>、と言いまして。
仏教においては、煩悩のひとつです。まるっとさんの記憶が正しければね~。
喉が渇きまくって、むさぼる感じみたいな意味だったような。
ひどい、言い方だけど、まあ、あるっちゃあるかな。そういう側面も。

とにかく~。
愛って、煩悩~。チーン。

なのでね、
捨てなきゃと焦る人がいてもおかしくはないんですよ。

ただね~。捨てようとしたところで。

こうしなければならない!こうすべきだ!
と、頭でわかっていても心がついていかないもんです。
なかなかね~“すべきこと”と“したいこと”が一致しているわけではないんで~(笑)

まぁそれは、人間が単純じゃないからですよね。
単純じゃないっていいことっす。
いろんな気持ちがあっていいと言う話を上記しましたが。

複雑だから、おもしろいし、いろんな意見があるからおもしろい。

一緒の考え方や、自分と似た人ばかりにならないのは、そのおかけで。
みんな各々、個性ってのがある。

そんだけ、いろんな人たちがいる中で、
波長合う人が、たま~に見つかるからすんごく嬉しかったり、感動したり、楽になったりできるわけでしょ。

みんな自分と同じだったら、きっとつまらないし、「奇跡だ!」って感じることもないと思うんだな~。

ってなわけでね、
まずは、自分がどうしたいのかを中心にしてあげる方が楽になれると思うのです~。

“どうすべきか”にとらわれちゃうとね、
自分の“心の声”を小さくしちゃうでしょ。

「人に迷惑かけるかも」とか、「こうしなきゃ」とか、
考えるのって、これまた“当たり前”です。

当たり前だけどね~。

心の声を聞かずに無理したら、差し障ります。
そりゃ、しわ寄せはどっかにくる。
無理してんのが、のっかって、他の人にボカーンとあたっちゃうとか、いっぱいいっぱいになって、「もう限界だ。ふにゃー」ってなるとかね。
頑張り屋さんはついついそれをやってしまいます。

うーん。だけど。何て伝えればよいんだろう。

そうだな。
突然ですが、まるっとさんはいいやつ(良く生きたいってかね誠実でいたいってかね)でいたいんですよ! キッパリ(笑)(笑)

いや、堂々と言うことでもないんですが。
「いい人に見られたい」とかとは、ちょい違って~いいやつでいたいんですよ。
他人のためにもだけど、何よりも自分のために“いいやつでいたい”の、ですな。

みんな嫌なやつになりたくはないでしょうが(笑)
ほれ、嫌なことはみんなギスギスするじゃないですか。
嫌な雰囲気よりいい雰囲気のが好きなんですよ。単純にね。みんなそうだろうけど(笑)

ってわけで、自分のためにも他人のためにも私はいいやつでありたいんです。
私にとって、それがすごい楽だから。

私の場合、流れとか煽られたとかであってもね、悪口とか言ったら
きっと、自分にのっかっちゃうですよ。
「なんで、あんなんいったんだろう」とかね。
すごい考えそう。悪いことしたら、ずっと気になるだろうし。

めっちゃ、それ、めんどいでしょ。

人間は強いとかいいつつ、脆弱人間まるっとさん、どうしよう。
まあ、そこはスルーでよろしゅうに(笑)(笑)

ちなみに、強くて気にしない~。てなら、いいんすよ。

私は違うんで、やめときます。っていうねだけ。これは例です。

なぜかと言うと~。
これ、心の声を聞いてるから、だと思うんすよ。
素直でいよう。その素直であるための努力をしとこう。とな。
それって、楽だからね~。

だから、私だってもしかしたら、悪いことだと思っても「心の声がでかい!」ってな場合は、悪いことしてしまう可能性だってあるんす。
いや~絶対にない。聖人君子ですって言い切れやしませんよ。←ただ、その後の声がでかくなりそうだから、多分たいそうなことはできないけどね(笑) ああ、弱さもステキ。

んでね、何が言いたいかというと、
なんかやらかしたとしても、後悔したとしたら、そこで修正すりゃいいと思うのですよ。むりやりとかじゃなくて。
後悔したこと自体が、心の声でしょう。
その声にしたがってみるのもいいんじゃないかな~って。そしたら、無理ないじゃないですか。

どうよ。これ。

なにいってんの?って、思う人もいると思いますが、なんとなくでも伝わったら嬉しいなぁと思います。

なんてーか。
なんも間違えない、後悔がない人間なんて、いるわけないっす。

ずーっと間違えないできたなら、それが間違いです。
だって、間違いを知らないから、間違えたひとに怒りを感じたり、その人のペース考えないで正そうとしちゃうかもしんないじゃ~ん。

それはそれで、きっとそういう人はつらいと思う。周囲はね、あいつなんだよ!って言えることもあるから、まあ、とんとんなとこもあるけど。
きっと本人は弱音はけないから。つらいっす。

こりゃ、私が個人的に思うことだから、違うって人もいると思うけど。私はそう思っております。

てなわけで、
【まるっとさんのまとめ~】
煩悩万歳でいきましょう。いや、違った。

執着してもいいじゃなぁ~い。
自分の心の声。本当の声。どうしたい?って、聞いてみよう!
むしろ、それが執着から抜けるきっかけになるやも~。(・∀・)ノヘーイ。

愛はね、
仏教では欲望。そういう側面もある。
けど、決してそれがすべてではありません。側面なだけ。

“愛”ってのは“愛でる”、“愛おしい”って言葉にも使われまする。

自分の気持ちが主体だけど、愛おしいって、欲望とは違いませんかね?

愛でるって欲望とは違いませんかね?

花を愛でる。

それ、欲望を掻き立てられている。
欲情している。って意味にとったら、かなりへんた。。。いえ。かなり、幅広い性癖をお持ちか、すんごい針の穴くらいの性癖を持っておられるんじゃないかと、思わずにはいられません。

ね、欲望じゃない側面だってちゃんとある。

いろいろ多角的にとらえて、みられる世界。
なかなか世界はうまくできてますな~。

長々お付き合いいただきまして、ありがとうございます。
まるっとさんでした~。

アガペー

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