占いをやってる私が言うのもなんだが、2022年の運勢を気にするよりも、もっと大事なことがあると思う。
個人的には2022年に何をやるかってこと。これがあったうえで、2022年の運勢を知ることによって、そのための戦略が立てられる。
それなしに2022年の運勢だけを知っても、「ふ~ん。そっか」で終わったり、そこに書いてあることに振り回されたり、何も得られるものはないだろうね。たぶん。
しかも、今の女性誌に出てる占い師って、まともに占いできる人がいないと思う。占い師を演じるタレントであって、中身がないと私は思う。作られたハリボテのような実績しかなく、実際に裏を取れる実績がない。
そんなのが書いてることに一喜一憂したって、仕方がないと思うんだ。
2022年にやることを決めたうえで、運勢を見るポイントとしては、流れを知ることだと思う。計画を進めていくうえで適しているかどうか、そこが一番重要じゃないだろうか。
計画通り進むのか、そうでないのか。
進まないのなら、やるべきじゃないって判断にもなるけれども、進みは遅くても今動かなきゃいけないって時もある。
例えば、恋愛にしろ、仕事にしろ、時期と環境と状況がどうかを分かったうえで進めるのと、そうでないのとでは進捗具合や結果で差が出る。
もう結婚適齢期を迎えていて、割と出会いのある環境だとしても、仕事が忙しいといった場合には、恋愛が進められないと考えてしまう人もいるだろう。状況が整わないのなら、それがいつなら整うのか、それ知っていれば動けるし、結果も出せる。
リピーターの多い占い師は、こういう部分を明確に伝えることができるけども、YouTube動画で占いを始めましたというような占い師ごっこをしている人々は、こうした部分の読み方をそもそも知らない。
だから、当たらないし、リピーターが付かない。
マリーシェルでは、たまに占い師の鑑定チェックを兼ねてサンプル鑑定をやってもらうけども、こういう部分をきちんと伝えられる占い師は、やはりリピーターがしっかりついていて、そうじゃない占い師には足りない点を指摘する。
占術が云々は関係なく、どれも伝え方は一緒。
きちんと観れるもので占え、そうでないなら利用するなというスタイルだ。
雑誌の占いのような抽象的な表現で良くも悪くも聞こえる占い師もたまにいるけども、それじゃ意味がない。
個別に鑑定をし、対象がいるわけだから、その人に向けた具体的な話をすべきであって、抽象的な言い回ししかできないのは、プロとして失格だと思う。
もともと占い師は、運、運勢、宿命、運命等々、目には見えないものを扱っているわけだから、できるだけ具体的に、そして実際にわかる形で伝えていかないとダメだと思う。
運がいいと言っても、本人の実感でそうは感じないと思われてしまったら、意味ないよね。
運がいいとは何か?その人にとってどういうことなのかを具体的にきちんと伝えれば、本人にも運が良いということが伝わる。
「運命の人に出会える!」とかを鑑定で口にする占い師も結構いるんだけども、そもそも運命の人って何なの?その定義を理解して伝えてる人は少ないんじゃないかと思う。ニュアンスで言ってるように思える。
運命の人はこうだ!と定義を説明する人も中にはいるだろうが、じゃあその人は運命の人と出会ったり、結婚したりしたのだろうか?
私は運命の人なる言葉を鑑定ではあまり使うことはない。あまりというのは、運命の人といわれるような理想的な人といった表現では、口にすることもあると思うけども。
あまり使わないのは、この運命の人というのが何なのか?さっぱり分からないから。
分からないことは責任が持てないので使わない。これがプロとしては正解じゃないかと思う。
ここまで読んでいただいてなんだが、占い師向けに書いているのか、一般向けに書いているのかよくわからなくなってきた。
運命の人という言葉が頭の中で独り歩きし、2022年の運勢で運命の人との出会いがあるとかいう内容で、出会った相手がみんなゲスだったらどうするんだろう?とか浮かんできた。
運命の人は、ゲス野郎。
ないとは言い切れない。
ゲス同士のカップルは、案外ぴったりかもしれない。
でも、ノーマルとゲスだと・・・。
やっぱりノーマルにとっては、相手がゲスでも、運命の人ならそれでいいのか。
でも、運命の人という言葉じゃなく、理想の条件の人って表現を変えても、この場合成立しないよなと。
理想の条件の人がゲス野郎・・・。
あー、こういう恋愛相談を実際に受けたら、頭がパニックになるなと思っていたら、そもそもゲス野郎なる言葉を普段は使ってないことに気づいた。
これ、お客様に恵まれているってことだな。
私の中で浮かぶ、ゲス野郎像はたしかにある。
男女ともにゲス野郎だった。
引用:マリーシェル|チャット占いUranow(ウラナーウ)と秋葉原・吉祥寺の占い館